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広重 東海道五十三次 ブログトップ

二川(猿ケ馬場) [広重 東海道五十三次]

京から22宿目、二川宿は、三河の国で最も東の宿場です。
現在の豊川市二川町あたりです。
副題の猿ケ馬場はさらに東側の次の白川宿に近いところにあったそうです。
二川宿周辺には奇観の立岩や岩屋観音といった絵になるところがあるのですが、
広重がここを二川と勘違いしたことによるらしいです。
この絵は、小松の生い茂る原山のゆるやかな起伏を瞽女(ごぜ)が3人寄り添っ
て歩いている風景です。瞽女という言葉も久しぶりに見ました。頼りげない彼女
たちの姿と周囲のひなびた風景がマッチしているそうです。
今回は、広大な背景を省いて人物を大きく制作しました。
その先には、名物の柏餅を売る茶店があり、一人の旅人が立ち寄っています。
立木の制作は本当に根気作業でした。
22二川アップ.JPG
別角度です。
22二川アップ.JPG
原画はこちらです。
http://www.geocities.jp/norik022/futa1.jpg

作品は、窓際(2ヵ所)を占拠するようになってきました。
広重1.JPG
最初は、本棚の上に置いています。
広重2.JPG

吉田(豊川橋) [広重 東海道五十三次]

京から数えて21宿目、吉田宿です。
右側の櫓は吉田城で、修理中で足場を組んでいます。上の方で職人が手をかざして
豊川橋を眺めていますが、紙紐の限界でそれらしくするのに精一杯でした。
絵の中央に広がっているのが三河湾に注ぐ豊川です。当時は海運が盛んで船の往来が
あります。
吉田宿は、城下町、湊町、宿場町として栄えました。
楽しく制作できましたね。
21吉田.JPG
別角度からです。
21吉田アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige047/hiroshige047_main.jpg

御油(旅人留女) [広重 東海道五十三次]

京から20宿目、御油(旅人留女)着です。

宿場には、留女と呼ばれる女性がいて、旅人を呼び止めて宿泊をさせる仕事を
しているようです。
ここでは、腕や荷物を引っ張って旅人を引きずり込もうとしています。
必死に逃げようとする旅人の傍らをいつものか光景と宿場の女性が通り過ぎて
行きます。
右の旅籠の中は、今、着いた旅人が足を洗おうとしています。水盥がちょっと
大きく作り過ぎたので、運ぶ女性も大変な様子です。
梁から吊り下げた札は、伊勢参りなどの講の名札だそうです。
奥の壁には、「竹之内板」とあり、広重の版元の名前が書いてあります。
登場人物の様子をそれらしくするのに苦労しましたが、まあまあですね。
19御油(旅人留女).JPG
違う角度からの写真です。
19御油アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige048/hiroshige048_main.jpg


赤阪(旅舎招婦ノ図) [広重 東海道五十三次]

野際陽子さんが亡くなりました。彼女は、以前に「70になったら、
やけっぱちに生きる」というようなことをおっしゃっていたそうです。
俳優の西岡徳馬さんが最近CMで、海パンひとつで小島よしおさんと
一緒に「そんなの関係ない」をやっていますが、70歳だそうです。
芸人は、齢に関係なくやけっぱちに生きているんでしょうか。

さて今回の広重は、京から19宿目、赤阪です。
赤阪宿は次の宿との距離が短かく、お客の争奪が大変だったようです。
集客力アップのため、飯盛女を置いていました。
この絵は、旅籠の内部を描いたもので、右の部屋にはお客を待つ飯盛
女が3人描かれていました。化粧に余念がないようです。
奥に布団が見えています。
左の部屋は、寝っ転がってくつろぐお客にお膳が運ばれてきて、按摩
さんがご用伺いをしています。
廊下を湯上りの男が肩に手ぬぐいをかけて部屋に戻るところですが、
この男性の制作にそれらしく見えるよう一番の苦労しました。
でも、建具が真っすぐに立っていないなど、建具師にはとてもなれま
せんでしたね。
18赤阪(旅舎招婦ノ図).JPG
苦労した作品ですので、別角度の写真も撮りました。
18赤阪アップ.JPG

藤川(棒鼻ノ図) [広重 東海道五十三次]

とうとう、京から18宿目になり三分の一の旅程を越えました。
藤川宿というのは、現在の岡崎市藤川町ということです。
街道を挟んで奥に榜示杭、手前に高札場の屋根が描かれていて、藤川宿の
入口のようです。
宿場の入り口に宿場役人らしいのが土下座しているのですが、隣同士でお
しゃべりをいしいます。
広重の絵のユーモアに、端っこ尾に子犬が3匹じゃれている様子が描かれ
ています。紙紐では、なかなか表現が難しいところです。
行列は、幕府が毎年8月に朝廷に献上する八朔の御馬進献と言われています。
17藤川.JPG
五十三次の「次」がどのような意味か解説がありました。
宿駅伝馬制度というのがあって、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や
物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度とあります。
輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものでした。

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige050/hiroshige050_main.jpg

岡崎(矢矧之橋) [広重 東海道五十三次]

京から17宿目、岡崎着です。
ここはご存じ家康生誕の場所で、譜代の大名の代表本多氏の治めるとこ
ろでした。
副題の矢矧(はぎ)之橋は当時の最長の橋で208間といわれています。
絵は、橋の上を江戸に向かう大名行列を描いています。
前作の失敗を反省して背景を上の方に置いたので、城が少し見えていま
すが、どうでしょうか。
17岡崎(矢矧之橋).JPG
原画はこちらです。
https://rlv.zcache.jp/39_%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%AE%BF_%E5%BA%83%E9%87%8D%E5%B2%A1%E5%B4%8Ejuku_hiroshige_ukiyo_e_%E8%91%89%E6%9B%B8%E3%81%8D-re4afe80082b84a47af7fb13560872dde_vgbaq_8byvr_540.jpg


池鯉鮒(首夏馬市) [広重 東海道五十三次]

京から第16宿目、池鯉鮒(ちりゅうう)(首夏馬市)です。
池鯉鮒は何とも難しい読み方ですが、現在は「知立」と表記されています。
「首夏」とは旧暦4月のことらしく、いろいろ勉強しました。
この絵は、池鯉鮒の東方で開かれている馬市の様子を描いたもので、
初夏の爽やかな草原を吹く風の中で、馬たちが草を食む風景です。
原画では20頭以上の馬が描かれているのですが、半分になりました。
馬たちは、もう少し太ったようにできればよかったのですが、技量不足でした。
背景から先に制作していくのですが、今回は全く見えなくなってしまい、
もう少し考えないとダメでした。
16池鯉鮒(首夏馬市).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige052/hiroshige052_main.jpg

鳴海(名物有松絞) [広重 東海道五十三次]

京から第15宿目、鳴海(名物有松絞)です。
尾張の国境の鳴海宿に入る手前に有松村があり、絞り染めで全国的に
有名でした。
いろんな色の絞りを家ごとに華やかに吊るして商いをしていました。
旅人も女性が主役となっています。
馬上の女性は原画では後ろ向きですが、正面向きに変えました。
15鳴門(名物有松絞).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige053/hiroshige053_main.jpg


宮(熱田神宮) [広重 東海道五十三次]

京から14宿目、宮です。
宮宿は伊勢神宮に次ぐと言われた熱田神宮の門前町で、東海道で有数の
宿場町としてにぎわったようです。
この絵の場面は、尾張・三河で行われていた「馬の塔」と呼ばれる祭事
で、5月5日の端午の節句の奉納神事です。
威儀を正した行列が美しく飾った馬を牽く「本馬」と、荒薦を巻いた裸
馬の綱を人々がつかまって走る「俄(にわか)馬」があるそうです。
右端に熱田神宮の巨大な鳥居の一部が見えています。
制作で一番苦労したのは、後ろの2階建ての宿屋らしきものと、たき火
の煙でしたね。とにかく人数が多くて大変でした。
宮(熱田神宮).JPG
原画はこちらです。
http://edohanga.jp/images/fifty_three_stations_of_the_tokaido/41st_station-miya.jpg

桑名(七里渡口) [広重 東海道五十三次]

京より13宿目、桑名です。
東海道で唯一の水行が、宮と桑名間です。
長時間の乗船で船内はにぎわったそうです。
桑名の渡し場は桑名城の石垣の脇にあったそうです。
船には大勢の乗客が乗っていますが、小さいので制作していません。
石垣に3日、城に2日、樹木に1日かかったてしまいましたね。
今回は築城と造船技術を習得しました。
船の帆は大きいのを畳んだのですが、それらしくなりました。
13桑名(七里渡口).JPG
原画は、こちらです。
http://tatutomo.pvsa.mmrs.jp/b-014.jpg

四日市(三重川) [広重 東海道五十三次]

京より12宿目、四日市です。
副題の三重川は、鈴鹿山脈の御在所岳を水源とし伊勢湾に注ぐ今の三滝川の
ことだそうです。
この川を越えると四日市宿に入るのですが、そこに架かっている三十三間も
ある橋を「すえの土はし」というそうですが、絵ではみすぼらしい橋になっ
ています。
橋を渡る旅人が風に飛ばされないよう合羽をしっかり押さえています。
土手道では、風に飛ばされた笠を必死で追いかける様子が描かれています。
今回の一番時間のかかったパーツは中央の柳でした。
強風の様が出ていればいいんですが。
12四日市(三重川).JPG
原画はこちらです。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/50/0000015750/08/imgcc0ba345xx4rgg.jpeg

次の宿場はあの桑名ですが、やはり2週間かかりそうです。


石薬師 [広重 東海道五十三次]

京から11宿目、石薬師(石薬師寺)です。
石薬師は真言宗の古刹ですが、名前の由来は空海作と伝えられる
自然石に線刻した薬師如来の本尊にあるそうです。
正面に山門と伽藍があり、その前を東海道が通っています。
馬に乗った通行人を造るのが楽しかったですが、この角度では
見えません。
制作が一番面倒だったのが、右端にある「わら塚」でした。
11石薬師(石薬師寺).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige057/hiroshige057_main.jpg
次は、いよいよ四日市で、2週間先を目標にしています。

庄野(白雨) [広重 東海道五十三次]

京都から10宿目、庄野(白雨)です。
副題の白雨はにわか雨のことだそうです。
絵では、激しい雨を避けて坂道を急ぐ駕篭かきや飛脚、農民の姿を描いています。
一番苦労したのは、傘でした。トトロのようにはうまくできなかったのですが、
激しい風雨の状態を考えたら、これでもよかったかな、でした。
10庄野(白雨).JPG
原画はこちらです。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BA%83%E9%87%8D+%E5%BA%84%E9%87%
8E
%8E&aq=-1&ei=UTF-8&fr=ysswb> &aq=-1&ei=UTF-8&fr=ysswb

次は、石薬師で2週間先が目標です。

亀山(雪晴) [広重 東海道五十三次]

京から9宿目、亀山です。
雪が止んで晴れ上がった銀世界です。急坂を登る大名行列とその上に
亀山城が見えています。 
 原画に馬が見えるのですが、その周辺が樹木が邪魔で見えず、想像して
創りました。雪景色も、まずまず表現できたかなと思います。
9亀山(雪晴).JPG

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige059/hiroshige059_main.jpg


1作に2週間かかっていますので、取り敢えず、今までのを掲載しました。

関(本陣早立) [広重 東海道五十三次]

京から第8宿目の関です。
この地名は古の三関のひとつ鈴鹿の関に由来するそうです。
絵は副題のように大名行列の出発前のあわただしい状態を
描いています。雰囲気が出ていると思います。
周囲の、まだ薄暗さと本陣の明るさを紙紐で表現するのは
難しいですが、提灯でそこはかとなく表現しています。
垂れ幕と提灯の制作が大変でしたが、楽しい制作時間でした。
8関(本陣早立).JPG

原画はこちらです。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%BA%83%E9%87%8D+%E9%96%A2



阪之下(筆捨峰) [広重 東海道五十三次]

京都から第7宿目の阪之下宿です。
当時の阪之下宿は、現在の三重県亀山市関町坂下になる
らしいです。
この絵は阪之下と関の間の峠茶屋の光景で、向かい側に
見えるのが「筆捨峰」となっている筆捨山です。
名前の由来は、室町時代の巨匠狩野元信がここの絶景を
描こうとして出来ず、筆を投げ捨てたためとのことです。
先に峠を創ったので配置が右寄りになってしまいました。
山間の滝は本当はないそうです。
7阪之下(筆捨嶺).JPG

原画はこちらです。
http://chisoku.jp/data/00414.jpg

土山(’春乃雨) [広重 東海道五十三次]

京から6宿目、難所の鈴鹿峠を越えたところにあるのが土山宿だ
そうです。
原画には、宿場近くの小橋を渡る大名行列が描かれています。
左奥の建物は、坂上田村麻呂を祀る田村神社とも言われています。
お天気は雨なのですが、私の腕では、さすがに表現不能です。
下の川の上流は、激流になっているのですが、見えていません。
6土山(春の雨).JPG

原画はこちらです。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/50/0000015750/14/img23c25082xx60r3.jpeg

水口(名物干瓢) [広重 東海道五十三次]

五十三次もようやく5宿目の水口着です。
絵には、農家で特産品の干瓢を干す様子が描かれています。
干瓢は、夕顔の果肉を細く切り、紐の上に掛けて乾燥させるのだそうです。
5水口.JPG
人物の大きさを変えて、遠近感を出してみました。

原画はこちらです。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/50/0000015750/15/imge7584106xx68gw.jpeg




石部(目川ノ郷) [広重 東海道五十三次]


京を出て4宿目、石部(目川の里)に到着です。
草津の近く目川の立場という処で、菜飯と豆腐の味噌田楽が
有名だったそうです。
ここも草津同様、人物が多く、特に中央で踊っている集団と
それを見ている通行人を創るのがおもしろかったですが、人物
制作は、まだまだ、下手くそです。
背後の樹木はちょっと大雑把で派手になりました。
4石部.JPG

原画はこちらです。
http://image.rakuten.co.jp/adachi-hanga/cabinet/ukiyoe/hiroshige064.jpg
これが完成した日は、54年ぶりの11月の降雪でした。

草津(名物立場) [広重 東海道五十三次]

京から3宿目、草津です。
この宿場は交通の要所であることで、何せ人の往来が激しく、沢山の人を
造るのに時間がかかりまいした。背景も気合を入れて創りました。
3草津.JPG
原画はこちらです。
http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/adachi-hanga/cabinet/hiroshige/hiroshige065.jpg
中央の店は「うばもちや」という名前で草津名物の「姥が餅」を売っているようです。
他の作品もあって、五十三次は1作に2週間かかっています。

大津(走井茶屋) [広重 東海道五十三次]

京から2宿目、大津に到着しました。
大津は江戸時代の北国街道の分岐点で、かつ琵琶湖の水上交通の
要でもあり交通の要衝として発展しました。
走井では湧き出す清水で茶屋が営まれ、名物の走井餅がつくられ
ました。
そんな雰囲気が出ていれば、立派なものえすね。
2 大津.JPG

こちらが原画です。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige066/hiroshige066_main.jpg
浮世絵の一部の切り抜きは難しいと、改めて知りました。

京師(三条大橋) [広重 東海道五十三次]

趣を全く変えて、浮世絵の世界にチャレンジしてみました。
絵画の平面の世界を立体化できるか、わくわくしました、
シリーズ物だと継続できるので、歌川広重の「東海道五十三次」を
選びました。
普通は、江戸がスタートですが、逆コースで京都から出発する
ことにしました。
三条大橋は、東国から都への入り口であり、京の繁栄の象徴として
描かれているようです。
橋の制作が大変でした。
1京師新.JPG

これが元の絵で、京師(三条大橋)となっています。京師とは、
都を表わす漢語だそうです。
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/events/special/art/2016/works/images/works19.jpg

ここから、一部を適当に切り出したのがこの作品です。
最初の試みとして、まあまあでした。
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