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由井(薩埵嶺) [広重 東海道五十三次]

京から数えて39宿目、由井宿です。由井は由比とも書かれたようです。
由井宿のあった由井町は平成の大合併で現在は静岡市清水区の一部だそうです。

副題の薩埵嶺は薩埵山のことで、作品の左の急峻な山がそれになります。
その山腹には道が切り開かれていて旅人が見えます。
それにしてもすばらしい眺望で、富士山、伊豆、駿河湾、三保までが見えている
そうです。岩陰から見える松は海風により、大きく傾きながら枝を伸ばして
います。旅人はこの絶景を楽しんだことでしょうね。
39由井 (1).JPG
ちょっと角度を変え旅人をアップしました。
39由井 (2).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige029/hiroshige029_main.jpg


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奥津(奥津川) [広重 東海道五十三次]

京から数えて38宿目、奥津宿です。
「奥津」は古くは「沖津」や「興津」とも書かれていたようです。
興津には東海屈指の名刹清見寺と、その前に広がる風光明媚な清見潟がありました。
この絵は、駿河湾に注ぐ興津川の河口付近の徒行(かち)渡しの光景です。
左の山が薩埵(さった)山の山裾です。
川を渡っているのは二人連れの相撲取りです。前を行く相撲取りは狭い駕籠に窮屈にそうに
体を小さくして乗っています。普通二人の駕籠かきが四人がかりで担いでいます。
後ろの相撲取りは馬に乗っていますが、馬も苦しそうです。
38奥津 (1).JPG
少しアップしました。
38奥津 (2).JPG

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige030/hiroshige030_main.jpghttps://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige030/hiroshige030_main.jpg


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江尻(三保遠望) [広重 東海道五十三次]

京から数えて37宿目、江尻宿です。
絵の解説によりますと、左の峰の多い山は愛鷹山、右の三角形の山は鷲頭山、
海中に長く伸びている樹木の多い砂嘴(さし)が三保の松原となっています。
江尻宿は現在の静岡県清水区にあったそうで、諸国の回船が多数出入りした
良港清水湊がありました。
絵には多くの家屋と多数の舟があり、当時の賑わいを思わせます。
37江尻_0000.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige031/hiroshige031_main.jpg


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府中(安倍川) [広重 東海道五十三次]

京から数えて36宿目、府中宿です。
解説によると府中は駿府城の城下町でかっての宿場は現在の静岡駅の付近です。
府中宿は安倍川餅と幕府公認の遊郭・二丁町で知られていました。
この絵は宿場の西はずれの安倍川の風景を描いています。
ここも徒行(かち)渡しで、旅人は川越人足の担う輦台(れんだい)や
肩車で川を渡りました。
手前には3人の女性が3種類の方法で川越をしています。
右端には、笠を被った半纏を着た男がいます。
対岸からは、馬に荷を載せた男たちが渡ってきています。
さらにその向こうには状箱に頭上にかかげた飛脚、客の荷物を頭に
載せた人足、裸になり人足に案内される旅人がいますね。
川向うの山は、賎機(しずはた)山かと言われていますが、不明です。
36府中アップ.JPG
少しアップしました。
36府中.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige032/hiroshige032_main.jpg


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鞠子(名物茶屋) [広重 東海道五十三次]

京から数えて35宿目、鞠子宿です。
副題にあるように名物茶屋の看板に「とろろ汁」とあります。
当時、麦飯に青海苔とろろをかけて食べるのがおいしかったようです。
茶屋の中では、二人の旅人がとろろ汁らしいものを食べていて、背中に
乳飲み子を背負った茶屋のおかみが給仕をしています。
35鞠子.JPG
ちょっとアップしました。
35鞠子アップ.JPGj

原画はこちらです。
http://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2016/02/Tokaido20_Mariko-650x437.jpg


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岡部(宇都之山) [広重 東海道五十三次]

京から数えて34宿目、岡部宿です。
岡部宿と次の鞠子宿の間には東海道の難所のひとつ、宇津ノ谷峠があり、その一帯を
宇津の山と呼んでいたそうです。
ここは「伊勢物語」の一節にある「蔦の細道」があったところだそうで、江戸時代の
旅人も業平の昔に思いを馳せ、土地の人に蔦の細道の場所を聞いたのかも知れません、
と解説されています。
絵は、伊勢物語にある従者を伴い山道を登る公家と笈(おい)を背負って下る僧に代
わり、柴や薪を背負った地元の人々の姿を描いています。
蔦の細道、訪ねてみては如何でしょうか。
34岡部.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige034/hiroshige034_main.jpg

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藤枝(人馬継立) [広重 東海道五十三次]

京から数えて33宿目、藤枝宿です。
この絵は問屋場の風景を描いています。箱根の関所を見学した時にこの絵が飾られてい
ました。問屋場とは、人馬の継立や公用旅行者の宿舎手配など、宿場の中でも特に重要
な業務を行う施設です。そういう訳で事務所の部屋は外部とのやり取りのため障子など
なく、一段高い造りになっています。
継立は、前の宿場から送られて来た荷物を新たな人馬に積み替えて次の宿場に送り継ぐ
業務です。
右端の一段高い所に問屋場の役人が見守る中、笠を被り黒い羽織を着た荷主らしい武士
と、帳面を片手に持った帳付が荷物の確認を行っています。
馬から荷物を下ろす者までは制作できましたが、その他の人夫ば場所が狭くなり入り切
りませんでした。
こちらは、荷物が着く前の閑散とした風景です。奥で馬が飼葉を食っています。
33藤枝 1.JPG
こちらは、荷物が着きにわかに賑やになった問屋場の風景です。
33藤枝 2.JPG

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige035/hiroshige035_main.jpg
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嶋田(大井川駿岸) [広重 東海道五十三次]

京から数えて32宿目、嶋田宿です。
金谷宿と嶋田宿の間には、遠江と駿河の国境であった大井川があります。
この川も橋がなく、川越人足による徒行(かち)渡しでした。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたように、ひとたび
雨が降って増水すると何日も川留めされました。
大名行列の先頭の者たちが、肩車や平輦(ひられん)台で渡る間に、手前では鉄砲や
長槍を持つ武士たち、行列の主の駕籠、荷物の上で休む者たちがいます。
右側には、人足たちの休む小屋もあります。
32嶋田.JPG
少しアップした写真です。
32嶋田2.JPG

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige036/hiroshige036_main.jpg


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金谷(大井川遠岸) [広重 東海道五十三次]

京から数えて31宿目、金谷宿です。
遠景の山々は、今の牧之原台地の北東縁にあたるそうです。
しかし高くなっているような山は存在せず、広重の構図作りで描かれたもののそうです。
昔は大井川を境にして駿河と遠江に分けていました。
山麓の家屋のあるところが金谷坂で、金谷宿はこの麓になるようです。
現在は、大井川橋がかかっていますが、当時は幕府の政策で徒行(かち)渡しとなって
いて、大勢の渡し人足が働いていました。
31金谷.JPG
別角度からです。
31金谷アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige037/hiroshige037_main.jpg

兎にも角にも、小さい人物を大勢制作して疲れましたが、完成するとまぁまぁでした。
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日坂(佐夜ノ中山) [広重 東海道五十三次]

京から数えて30宿目、日坂宿です。

この辺りは佐夜ノ中山と言われる旅の難所で、日坂宿を過ぎて峠に行く途中に夜啼石という
遠州七不思議のひとつがあります。
http://www.shizufan.jp/netamap/seibu/18592/
坂の下で旅人たちが恐る恐る取り囲んでいるのが夜啼石で、石には「南無阿弥陀仏」と
書かれているそうです。もちろん我が作品には書いていません。
彼方の青い山は無間山(粟ケ岳)となっています。この山にあった観音寺には撞くと
現世で大金持ちになるが死後無間地獄に落ちるという無間の鐘があったそうです。
30日坂.JPG
別角度からです。
30日坂アップ.JPG

原画はこちらです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/Tokaido_Hoeido_26_Nissaka.png

人物を制作するため絵を詳しく見たら、坂を駆け上がっている2人は駕籠かきで、何と、
駕籠を担いでいました。今回も曲がりくねった松の樹に苦労しました。
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掛川(秋葉山遠望) [広重 東海道五十三次]

京から数えて29宿目、掛川宿です。

秋葉山の山頂近くに秋葉大権現があり、宿場の西を流れる倉真川に架かる大池橋の
たもとから見た風景だそうです。
手前に2つの常夜灯があり、大権現への参道、秋葉道を示唆しているそうです。
橋の上では旅の僧と行き合った老夫婦が深々と腰を折ってお辞儀をしています。
腰の低さが信心の高さを現しているんだそうです。
遠方に見える秋葉山は岩山風に描かれていますが、実際はそんなことはないそうです。
空には凧が舞っていて、いろんなものを制作できて楽しかったですね。

これは通行人がいない風景です。
29掛川 遠望.JPG
こちらが、鳥瞰図的な風景です。
29掛川(秋葉山遠望).JPG

原画はこちらです。
https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/50/0000015750/90/img7e9947e0xx0wkg.jpeg

この作品のメインが橋と思い、1週間かかりました。常夜灯も結構な時間がかかりました。
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袋井(出茶屋ノ図) [広重 東海道五十三次]

京から数えて28宿目、袋井宿です。

袋井宿は東海道の京と江戸とのちょうど中間にあるようで、ようやくの感です。
特に絵になるような名所・旧跡がなく、宿場外れの茶屋風景を描いたとされています。
手ぬぐいを被った女が石積みの竈でやかんで湯を沸かしています。
やかんを樹に吊るす風景がおもしろいですね。
客は、二人の駕籠かきと定紋の入った腹掛けをした定飛脚とあります。
駕籠かきの一人は、竈の火で煙管を吸いつけていて、もう一人は駕籠にもたれて
うたた寝をしています。

中央の樹が本命と思い制作に3日かかりましたが、立派になりました。
別々に造っていたら、やかんがやたらに大きくなってしまいました。
同じ作業をする気力がないので、このままで完成としました。

人物を配置すると背景が映らなくなるので、まず “ Before “ です。
28袋井(出茶屋ノ図).JPG
“ After ” が、こちらです。
28袋井after.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige040/hiroshige040_main.jpg

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見附(天竜川図) [広重 東海道五十三次]

京から数えて27宿目、見附宿です。

浜松から見附までは4里7町の長い道のりですが、その途中に「暴れ天竜」と
呼ばれた急流を船で渡らねばなりませんでした。
天竜川の川幅は東海道あたりで約10町(1090m)ほどで、川には中州があり、
大天竜、小天竜と呼ばれていました。この二つの瀬を舟で渡ることを「ニ瀬越え」
と呼んでいたそうです。
この絵も「二瀬越え」の風景を描いたものですが、手前の舟を撮ると向こう側が
見えなくなるので、BEFORE & AFTER で掲載しました。
27見附遠景.JPG 向こう側は行きかう多くの舟や舟待ちの人々がにぎやかですが、手前側は客待ち の二人の船頭ののんびりした風情が描かれています。 中央の舟待ちの集団の制作に一番時間がかかったのですが、結局はよく見えなく なっているのは、まだ、未熟な腕のためですね。 27見附1.JPG 原画はこちらです。 https://data.ukiyo-e.org/metro/images/061-C003-029.jpg
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浜松(冬枯ノ図) [広重 東海道五十三次]

京から数えて26宿目、浜松宿です。
家康ゆかりの浜松城は老中に出世する大名が多く、出世城とも言われたようです。
絵の右奥にお城がありますが、実際とは違うそうです。
絵の真ん中に大木があり、広重の特徴だとか。
副題が冬枯の図となっていて、街道で半裸の男たちが焚き火にあたっています。
通りすがりの旅人が興味深くその様子を見ていて、赤子を背負った女が箒で枯葉を
集めている様子が描かれています。
画面にある松の疎林は有名な「颯々(さざんざ)の松」を描いたものらしいです。
26浜松.JPG
こちらは、別角度からです。
26浜松アップ.JPG
最初に絵を見た時に、どうやって創ろうかと一日考え込んでしまいましたが、何とか
完成できうれしい想いの作品になりました。

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige042/hiroshige042_main.jpg
嬉しいことがありました。みなかみさんに「白須賀」を貰っていただけることに
なりました。置き場所に困っていますので、次の作品の場所ができます。
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舞坂(今切真景) [広重 東海道五十三次]

京から25宿目、舞坂宿です。
荒井宿から浜名湖を渡って舞坂宿着です。
手前の莚の帆が立っているあたりが舞坂付近となっています。
初めて富士山が登場しました。どうでしょうか。やっぱりいいですね。
以前にも記載しましたが、浜名湖は汽水湖だったのが、明応の大地震
(1498年)で砂州が決壊して海水と混じりあった淡水湖になったそうです。
湖面には沢山の舟が鰻の漁をしているとのことです。
湖面の沢山の杭は、遠州灘よりの荒波を静める、今で言うテロラポットの役目を
していました。

原画を見て、やっかいだったのが、近景の様子が全く判らないことで、勝手に想像
して制作しました。
絵は庄内半島を描いているらしいのですが、こんな険しい山はありません。
25舞阪.JPG
別角度からです。
25舞阪アップ.JPG

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige043/hiroshige043_main.jpg
今回は山造りが大仕事でした。
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荒井(渡舟ノ図) [広重 東海道五十三次]

京から24宿目、荒井宿です、
現在では、新居と表記しています。荒井宿には関所があり、厳しい取り締まり
があったそうです。それで対岸に関所らしい建物と柵を造りました。
ここに描かれているのは浜名湖で、今は汽水湖ですが室町時代には淡水湖だった
そうです。
この絵は、湖面を大名行列を乗せた船が荒井宿に向かっているところとされています。
作品は、勘違いで手前に進むように制作してしまいました(失敗、失敗!)。
真中の舟は、幔幕を張った藩主の乗った御座船で、手前の舟には、中間たちが
乗っていて、暇そうな様子です。
遠景から手前の舟までの遠近を表現するのがおもしろかったですね。
24荒井.JPG
別角度からです。
24荒井アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige044/hiroshige044_main.jpg
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白須賀(汐見阪図) [広重 東海道五十三次]

京から23宿目、白須賀宿です、
絵は、潮見坂を江戸に向かう大名行列と絶景の遠州灘を描いています。
絵では行列の人物の様子が全く判らず、想像に任せて制作しましたが、
単調な人物創りには残り少ない根気が消耗してしまいました。
でも、松の木はだんだん上手になってきましたね。
23白須賀(汐見阪図).JPG
別角度からです。
23白須賀(汐見阪図) アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige045/hiroshige045_main.jpg

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二川(猿ケ馬場) [広重 東海道五十三次]

京から22宿目、二川宿は、三河の国で最も東の宿場です。
現在の豊川市二川町あたりです。
副題の猿ケ馬場はさらに東側の次の白川宿に近いところにあったそうです。
二川宿周辺には奇観の立岩や岩屋観音といった絵になるところがあるのですが、
広重がここを二川と勘違いしたことによるらしいです。
この絵は、小松の生い茂る原山のゆるやかな起伏を瞽女(ごぜ)が3人寄り添っ
て歩いている風景です。瞽女という言葉も久しぶりに見ました。頼りげない彼女
たちの姿と周囲のひなびた風景がマッチしているそうです。
今回は、広大な背景を省いて人物を大きく制作しました。
その先には、名物の柏餅を売る茶店があり、一人の旅人が立ち寄っています。
立木の制作は本当に根気作業でした。
22二川アップ.JPG
別角度です。
22二川アップ.JPG
原画はこちらです。
http://www.geocities.jp/norik022/futa1.jpg

作品は、窓際(2ヵ所)を占拠するようになってきました。
広重1.JPG
最初は、本棚の上に置いています。
広重2.JPG

吉田(豊川橋) [広重 東海道五十三次]

京から数えて21宿目、吉田宿です。
右側の櫓は吉田城で、修理中で足場を組んでいます。上の方で職人が手をかざして
豊川橋を眺めていますが、紙紐の限界でそれらしくするのに精一杯でした。
絵の中央に広がっているのが三河湾に注ぐ豊川です。当時は海運が盛んで船の往来が
あります。
吉田宿は、城下町、湊町、宿場町として栄えました。
楽しく制作できましたね。
21吉田.JPG
別角度からです。
21吉田アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige047/hiroshige047_main.jpg

御油(旅人留女) [広重 東海道五十三次]

京から20宿目、御油(旅人留女)着です。

宿場には、留女と呼ばれる女性がいて、旅人を呼び止めて宿泊をさせる仕事を
しているようです。
ここでは、腕や荷物を引っ張って旅人を引きずり込もうとしています。
必死に逃げようとする旅人の傍らをいつものか光景と宿場の女性が通り過ぎて
行きます。
右の旅籠の中は、今、着いた旅人が足を洗おうとしています。水盥がちょっと
大きく作り過ぎたので、運ぶ女性も大変な様子です。
梁から吊り下げた札は、伊勢参りなどの講の名札だそうです。
奥の壁には、「竹之内板」とあり、広重の版元の名前が書いてあります。
登場人物の様子をそれらしくするのに苦労しましたが、まあまあですね。
19御油(旅人留女).JPG
違う角度からの写真です。
19御油アップ.JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige048/hiroshige048_main.jpg


赤阪(旅舎招婦ノ図) [広重 東海道五十三次]

野際陽子さんが亡くなりました。彼女は、以前に「70になったら、
やけっぱちに生きる」というようなことをおっしゃっていたそうです。
俳優の西岡徳馬さんが最近CMで、海パンひとつで小島よしおさんと
一緒に「そんなの関係ない」をやっていますが、70歳だそうです。
芸人は、齢に関係なくやけっぱちに生きているんでしょうか。

さて今回の広重は、京から19宿目、赤阪です。
赤阪宿は次の宿との距離が短かく、お客の争奪が大変だったようです。
集客力アップのため、飯盛女を置いていました。
この絵は、旅籠の内部を描いたもので、右の部屋にはお客を待つ飯盛
女が3人描かれていました。化粧に余念がないようです。
奥に布団が見えています。
左の部屋は、寝っ転がってくつろぐお客にお膳が運ばれてきて、按摩
さんがご用伺いをしています。
廊下を湯上りの男が肩に手ぬぐいをかけて部屋に戻るところですが、
この男性の制作にそれらしく見えるよう一番の苦労しました。
でも、建具が真っすぐに立っていないなど、建具師にはとてもなれま
せんでしたね。
18赤阪(旅舎招婦ノ図).JPG
苦労した作品ですので、別角度の写真も撮りました。
18赤阪アップ.JPG

藤川(棒鼻ノ図) [広重 東海道五十三次]

とうとう、京から18宿目になり三分の一の旅程を越えました。
藤川宿というのは、現在の岡崎市藤川町ということです。
街道を挟んで奥に榜示杭、手前に高札場の屋根が描かれていて、藤川宿の
入口のようです。
宿場の入り口に宿場役人らしいのが土下座しているのですが、隣同士でお
しゃべりをいしいます。
広重の絵のユーモアに、端っこ尾に子犬が3匹じゃれている様子が描かれ
ています。紙紐では、なかなか表現が難しいところです。
行列は、幕府が毎年8月に朝廷に献上する八朔の御馬進献と言われています。
17藤川.JPG
五十三次の「次」がどのような意味か解説がありました。
宿駅伝馬制度というのがあって、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や
物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度とあります。
輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものでした。

原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige050/hiroshige050_main.jpg

岡崎(矢矧之橋) [広重 東海道五十三次]

京から17宿目、岡崎着です。
ここはご存じ家康生誕の場所で、譜代の大名の代表本多氏の治めるとこ
ろでした。
副題の矢矧(はぎ)之橋は当時の最長の橋で208間といわれています。
絵は、橋の上を江戸に向かう大名行列を描いています。
前作の失敗を反省して背景を上の方に置いたので、城が少し見えていま
すが、どうでしょうか。
17岡崎(矢矧之橋).JPG
原画はこちらです。
https://rlv.zcache.jp/39_%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%AE%BF_%E5%BA%83%E9%87%8D%E5%B2%A1%E5%B4%8Ejuku_hiroshige_ukiyo_e_%E8%91%89%E6%9B%B8%E3%81%8D-re4afe80082b84a47af7fb13560872dde_vgbaq_8byvr_540.jpg


池鯉鮒(首夏馬市) [広重 東海道五十三次]

京から第16宿目、池鯉鮒(ちりゅうう)(首夏馬市)です。
池鯉鮒は何とも難しい読み方ですが、現在は「知立」と表記されています。
「首夏」とは旧暦4月のことらしく、いろいろ勉強しました。
この絵は、池鯉鮒の東方で開かれている馬市の様子を描いたもので、
初夏の爽やかな草原を吹く風の中で、馬たちが草を食む風景です。
原画では20頭以上の馬が描かれているのですが、半分になりました。
馬たちは、もう少し太ったようにできればよかったのですが、技量不足でした。
背景から先に制作していくのですが、今回は全く見えなくなってしまい、
もう少し考えないとダメでした。
16池鯉鮒(首夏馬市).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige052/hiroshige052_main.jpg

鳴海(名物有松絞) [広重 東海道五十三次]

京から第15宿目、鳴海(名物有松絞)です。
尾張の国境の鳴海宿に入る手前に有松村があり、絞り染めで全国的に
有名でした。
いろんな色の絞りを家ごとに華やかに吊るして商いをしていました。
旅人も女性が主役となっています。
馬上の女性は原画では後ろ向きですが、正面向きに変えました。
15鳴門(名物有松絞).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige053/hiroshige053_main.jpg


宮(熱田神宮) [広重 東海道五十三次]

京から14宿目、宮です。
宮宿は伊勢神宮に次ぐと言われた熱田神宮の門前町で、東海道で有数の
宿場町としてにぎわったようです。
この絵の場面は、尾張・三河で行われていた「馬の塔」と呼ばれる祭事
で、5月5日の端午の節句の奉納神事です。
威儀を正した行列が美しく飾った馬を牽く「本馬」と、荒薦を巻いた裸
馬の綱を人々がつかまって走る「俄(にわか)馬」があるそうです。
右端に熱田神宮の巨大な鳥居の一部が見えています。
制作で一番苦労したのは、後ろの2階建ての宿屋らしきものと、たき火
の煙でしたね。とにかく人数が多くて大変でした。
宮(熱田神宮).JPG
原画はこちらです。
http://edohanga.jp/images/fifty_three_stations_of_the_tokaido/41st_station-miya.jpg

桑名(七里渡口) [広重 東海道五十三次]

京より13宿目、桑名です。
東海道で唯一の水行が、宮と桑名間です。
長時間の乗船で船内はにぎわったそうです。
桑名の渡し場は桑名城の石垣の脇にあったそうです。
船には大勢の乗客が乗っていますが、小さいので制作していません。
石垣に3日、城に2日、樹木に1日かかったてしまいましたね。
今回は築城と造船技術を習得しました。
船の帆は大きいのを畳んだのですが、それらしくなりました。
13桑名(七里渡口).JPG
原画は、こちらです。
http://tatutomo.pvsa.mmrs.jp/b-014.jpg

四日市(三重川) [広重 東海道五十三次]

京より12宿目、四日市です。
副題の三重川は、鈴鹿山脈の御在所岳を水源とし伊勢湾に注ぐ今の三滝川の
ことだそうです。
この川を越えると四日市宿に入るのですが、そこに架かっている三十三間も
ある橋を「すえの土はし」というそうですが、絵ではみすぼらしい橋になっ
ています。
橋を渡る旅人が風に飛ばされないよう合羽をしっかり押さえています。
土手道では、風に飛ばされた笠を必死で追いかける様子が描かれています。
今回の一番時間のかかったパーツは中央の柳でした。
強風の様が出ていればいいんですが。
12四日市(三重川).JPG
原画はこちらです。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/50/0000015750/08/imgcc0ba345xx4rgg.jpeg

次の宿場はあの桑名ですが、やはり2週間かかりそうです。


石薬師 [広重 東海道五十三次]

京から11宿目、石薬師(石薬師寺)です。
石薬師は真言宗の古刹ですが、名前の由来は空海作と伝えられる
自然石に線刻した薬師如来の本尊にあるそうです。
正面に山門と伽藍があり、その前を東海道が通っています。
馬に乗った通行人を造るのが楽しかったですが、この角度では
見えません。
制作が一番面倒だったのが、右端にある「わら塚」でした。
11石薬師(石薬師寺).JPG
原画はこちらです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige057/hiroshige057_main.jpg
次は、いよいよ四日市で、2週間先を目標にしています。

庄野(白雨) [広重 東海道五十三次]

京都から10宿目、庄野(白雨)です。
副題の白雨はにわか雨のことだそうです。
絵では、激しい雨を避けて坂道を急ぐ駕篭かきや飛脚、農民の姿を描いています。
一番苦労したのは、傘でした。トトロのようにはうまくできなかったのですが、
激しい風雨の状態を考えたら、これでもよかったかな、でした。
10庄野(白雨).JPG
原画はこちらです。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BA%83%E9%87%8D+%E5%BA%84%E9%87%
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次は、石薬師で2週間先が目標です。

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